こんにちはトマトマンです。
今回はよく子供の頃おもったであろう疑問「なぜ学校で勉強しなければいけないのか」を考えていきたいと思います。
自分が持っている考えは大きく3つあります。
①人生においてコスパがいい
②決められたツールを使って、人間としての基礎能力を上げられる
③意志力をあまり使わなくて良い環境下で勉強できる
以下を詳しく書いていきたいと思います。
1.人生においてコスパがいい
日本社会において勉強というのは最もコスパが良いものだと思っています。
ほとんどの人間の目標は「幸せになりたい」ということだと思います。その中で、幸せの形は人それぞれです。
「お金持ちになる」「社会的名誉を手に入れる」「人を救う」たくさんの幸せの形があると思います。
その中で全てのことでプラスになるのが「勉強する」ということです。
学校の勉強を一生懸命すると「学歴」と「勉強する習慣」が手に入ります。この2つは汎用性が高く、また価値が落ちにくいものです。
「汎用性が高く、価値が落ちにくいもの」を自分で探すのはとても難しく、もしそのようなものを見つけたとしても役に立つ確証はありません。
「困ったら勉強しとけ」というのは確信をついた言葉ではないでしょうか。
2.決められたツールを使って、人間としての基礎能力をあげられる
学校の勉強の中で最も重要なのは「勉強する習慣」をつけるということです。
正直な話、勉強する習慣が身につくのならば国語、数学、英語などの教科である必要はないと思っています。
しかし、これらの教科にはいままでの蓄積や様々な勉強方法が開発されてきました。言い方を変えると「勉強する習慣」を身につけやすくなっているのです。
自分がものすごく「学びたい」と思うことがある人は、別に教科に限らずそれを学ぶ中で「勉強する習慣」を身につければ良いのですが、「学びたい」と思うものに出会えるわけであはありません。
もしいま学びたいと特別思うものがなければ、教科というツールを使って、「勉強する習慣」を身につけることに取り組んでみてはどうでしょうか。
3.意志力をあまり使わなくて良い環境下で勉強できる
1人で「勉強する習慣」を手に入れるのは至難の技です。そこで、みんなで協力したり、競争したりしてその習慣を手に入れた方が効率的だとおもいませんか。
全国の学生がやっていること、それが学校の勉強なのです。協力する人も競争する人も大勢います。そんなことなかなかありません。
しかも半強制的に授業というものに参加しないといけない私たち。だったらそれを利用して無駄な意志力を使わずに「勉強する習慣}を手に入れてしまえば良いのです。
学校というシステムに反抗するよりも、それをうまく利用して自分の能力を高めていったものが幸せに近づけるのです。
まとめ
「なぜ学校で勉強しなければならないのか」という理由としては
①人生においてのコスパがいい
②決められたツールを使って、人間としての基礎能力をあげられる
③意志力をあまり使わなくて良い環境下で勉強できる
を考えました。
「勉強しなければいけない」ということではなく、「勉強しておいた方がお得」という感じでしょうか。
結局、この世の中は自己責任です。勉強するもしないも自分で決めるべきなのです。